フォルクガング家といえば首都ヴォーラスに大邸宅を構えることは周知の事実であるが、別邸はというと、郊外のヨーストにあった。こちらも大きな構えである。が、ヴォーラスの本宅と比べると、厩舎を大きくとってあり、その分、居住棟にあたる建物は幾分小さく見える。
 フォルクガング別邸に着くと、憩う間もとらずにシーヴァスはメイドを呼び、ふたりの客人の部屋を調えるよう指示を出す。馬車を降り中庭を通ってやってきた客人は、シーヴァスの差し招きで邸内に入るが、そのうち男の方は、いぶかるような眼をシーヴァスに向けたまま、歩み鈍く従い入る。
「想像はしてたけど、豪華ね。でも思っていたほど、ごてごては、していないのね」
 品定めするようにナーサディアが言う。わざとシーヴァスに聴こえるように言ったかのようだった。彼女は貴族に迎合しない性質らしい。むしろ、圧倒されていない己をアピールするかのようでもある。黙ったままやってきたベリーランドは彼女の言にも答えず、紅い眼を幾度かぱちぱちとしばたたかせた。そしてシーヴァスに向き、唇を尖らせるようにして言った。
「なあ、やからおっちゃんは、泊まらんでもええやろっちゅうて、さっきから言うてるやろが」
「私だって、さっきから言っているだろう。泊まらせてやる、と」
「おまえ怪しい。おまえ、何か嫌や。今日のおまえ、何か嫌や」
 しきりにそう言って、ベリーランドは唇を尖らせたままである。
「子どもの喧嘩みたいね」
 ナーサディアが言うと、男ふたりは同時に言った。
「喧嘩じゃない」
「だって、傍から見ると、ただの口喧嘩にしか見えないわよ。いいじゃない、お招きいただいたんだから、私は遠慮なくお世話になるわよ。あなたもお友達のお宅に招かれたと思って、楽しめば済む話でしょう、ベリーランド」
「友達じゃない」また男ふたりが口を揃えた。
 だったら何なのよとナーサディアが声に出しかけたそのとき、図らずもシーヴァスが、それを遮るような形で言った。
「3時間後に食事にしよう。今日は執事が親族の祝い事で生憎留守にしているが、不可分ないもてなしができるよう心がけよう。滞在をお楽しみいただけるように。ああ、それから――」
 シーヴァスは一息置いた。何故か二階へ上がる階段をちらりと見やり、そしてつづけた。
「食事には、私の祖母も同席するが、またそのときに紹介しよう」
「祖母?」
 ベリーランドが復唱した。
「祖母って、シーヴァスの婆ちゃん?」
「それ以外の誰だと思うんだ」
「ここって、シーヴァスの邸と違うかね? 今まで、ひとりで住んでなかった? 世話係の皆除いて」
「今も一応ひとりで住んではいる。たまに祖母が静養にくるんだ。ヴォーラスよりは、やはり幾分落ち着く環境だからな」
「おばあさま、どこかお悪いの? そんなときに客だなんて、随分ご迷惑じゃ――」
 ナーサディアの言に、シーヴァスは慌ててかぶりを振った。
「ああ、いや、そういうわけでは――。ただ、ヴォーラスの本邸では、要人がひっきりなしに祖父を訪ねてきたりで、心が休まらないらしくて……」
「なあ、おまえが良うても、婆ちゃんはどうなのよ? 孫と水いらずの方が、婆ちゃんにとってはええんと違うか? ヴォーラスでも客が多い、ここでも客がある、っちゅうたら、それ、どうなのよ」
 尋ねるベリーランドに、シーヴァスは即座に言った。
「言っただろう、ヴォーラスでの客は要人だ。だから気が休まらないんだ。君たちは私の友人だ、祖母も気を遣う相手ではない」
 そこまで彼が言うと、さっきのメイドがやってきた。お部屋の支度ができました、と言って、お辞儀をしてまた去って行った。
「部屋へ案内しよう。二部屋用意させていただいたが、ひょっとして、ふたり一緒の部屋が良かったか」
 二階へ上がる階段へふたりをうながしながら、シーヴァスはさほど冗談めかした風情もなくそう言った。
「一度雨に降られて、森の中の空き家で一晩過ごしたことがあったわ。この守護天使さまもつきあってくれてね」
 滑らかな飾り細工の施された手摺りに手をかけ、ナーサディアが言った。
「何もないところでね。少しの退屈しのぎになったのは、トランプだけ。でも、いろいろやってみたけど長いこともたなかったわ。このひと、身が入ってないの。すぐにぼーっと別のこと考えてるのよ、年寄りみたいに。だから、すぐに飽きてね。ふたりで持ってたお酒、全部飲んだわ。だからこのひとと一緒に居たって、どうせ酒盛りくらいしかすることなんてないんだから」
「ならば、もしも酒がない場合は、それこそどうしようもないわけだ、この男といても」
「そういうことね」
「おい、それ以前に、おっちゃんは部屋は要らんとさっきから――」
「くどい」
 シーヴァスがベリーランドの言を遮った。そして辺りをうかがうように眼を動かし、声をひそめた。
「往生際の悪い男だ。もう部屋を用意したんだ。つべこべ言わず、泊まっていけばいいだろう」
「観念しなさいよ」
 ベリーランドがじたばたするも、シーヴァスが一向に取り合わないさまに妙に加担するような気持ちになって、ナーサディアはそう言った。
「だいたいあなた、今日はもう任務はないって言ってたじゃない。急いで帰る必要があるの?」
「飯をつくる。姪に食わさな」
「姪御はいくつだ。年は」
「21」
「病気か何かか」
「いや別に。普通に息災やが」
 「じゃあ、過保護だ」とシーヴァスは言った。「空腹になれば、何でも食べるさ。君がいなくとも」
「馬鹿言うな。あの子は“切る・煮る・焼く・揚げる”全般が超一級のド下手なんやぞ。今日で期限が切れる鶏肉あるのに、あの子ひとりでそれを調理して食えると思うか?」
 ベリーランドの言に、シーヴァスとナーサディアは同時に、
「知らないさ」「知らないわよ」
と答えた。両名とも、ベリーランドの姪の料理の腕など知るはずがない。


 ベリーランドは気に入らなかった。
 通された部屋には大きな窓がついていて、洗いざらしの綿かとも思える生成色のカーテンが施されてある。フォルクガング家の別邸ともあろう場所に、ただの綿のカーテンが使われているとも思えなかったが、一見しただけでは簡素に思える半面、触ってみると驚くほど滑らかで柔らかい。よく見てみると、鳥の浮き紋様がある。しかしベリーランドは、やはり気に入らなかった。カーテンの手触りは気に入ったが、この展開は気に入らなかった。
「結構な布地やないか」
 そうつぶやいて、「うちにもこういうの欲しいな」と思った。が、すぐに唇を心持ち突き出し、眉をしかめた。
「うまくない」
 この展開は、うまくない。今日のシーヴァスは、えらく自分を足止めする。彼はああいう男だったろうか。どちらかというとシーヴァスは、“己”と“他者”との間にそれとなくラインを引き、そのラインを相手に露呈せぬように、お互い損のない関係を築くことを良しとするような男ではないかと思っていたが、それはもしや自分の勝手な思い込みであったかと、天使は腕組みして考えた。
 シーヴァスは、何か思うところあって自分を足止めしているのかとも思った。それがどういうものかは見当がつかぬが、とにかく何事か理由がありそうなのは見てとれる。
 ――面倒だ。
 天使はそう思った。誰にも言ってはいないが、これは彼の癖だった。自分の“勇者”といっそう深く接する必要性が生じるとき、彼は頭の片隅、そして心のどこかで、その退き際を手探りで探し始める。人間に、でき得る限り介入したくないのだ。許されるならば、彼らの人生のほんの一片にも影響しない程度の存在でありつづけたい。有害でもなく、有益でもなく、ただ無害な存在であれば良い。それが天からの一方的な介入者とも言うべき存在である己にふさわしい在り方、或いは筋ではないかとすら思う。
 いやもしかすると、単純にシーヴァスはナーサディアに興味があり、自分にかこつけて、彼女を招きたかっただけにすぎないのではないかとも思いなおした。彼女ひとりを招くよりも、守護天使である自分を一緒に招いた方が、おそらく話が通りやすいと考えるに相違ない。
 ああそうだ。そう考えた方が面倒くさくないのだから、そういうことに今はしておこう。
 ベリーランドはそう思った。これも彼の癖である。
「しかしこのカーテンは、ええな」
 考えが一段落つくと、彼は無心でカーテンをさわさわと撫でた。ぽかんと遠い眼をして、延々撫でていた。ナーサディアが「すぐにぼーっと別のことを考える」と言ったのも、彼のこういった面を指しているに違いなかった。


 ナーサディアも気に入らなかった。
 彼女が通された部屋は、ベリーランドの部屋のすぐ隣で、彼の部屋とほぼ同じつくりの大きな窓のある部屋だった。天使の部屋と違うところと言えば、全身が映る三面鏡が備え付けられてある点だった。今入ってきたばかりの扉のすぐ斜め前にまた扉があり、開いてみると浴室と手洗いになっている。奮発してヴォーラスあたりのそこそこ値の張る宿にでも泊まらない限り、これほどの部屋にはまず縁がない。
 彼女は気を良くしたが、それでもやっぱり気に入らなかった。ベリーランドの態度が、である。
 せっかくシーヴァスが客として招いてくれているのだから、断るのならそれ相応の理由があって然るべきだと思うのに、彼はと言えば「姪の食事をつくる」などという、どう考えても益体もない理由しか無いらしい。ベリーランドがいなければ、今日初めて出会った勇者同士、恐らく何かとやりにくい。守護天使ならばそこのところを思いやり、勇者同士、円滑に交流できるように慮るのが本当ではないか。
「そんなに姪とやらの食事が気になるなら、3食分の弁当でもつくって、置いてきたらどうなのよ」
 ベリーランドのくだらない理由が、彼女は無性に気に入らなかった。彼の姪には会ったことがなかったが、くだらない理由の元となっている料理下手のその姪に、ナーサディアは心の中で一発パンチを喰らわした。


 3時間後、ナーサディアとベリーランドは、メイドの先導で食堂へ赴いた。6~7人がけほどのテーブルにはまだ誰も就いておらず、シーヴァスの姿も見えない。ふたりは案内された上座の席に就き、しばらく黙って待っていた。テーブルセッティングは、もう調っているらしい。
 大きくとられた窓の外の空はまだ暮れ切ってはいなかったが、テーブルの上の燭台では蝋燭の火が音なく揺らぎ、そのそばの彫り模様のついた銀皿に盛られた葡萄やオレンジの影をもまた揺らがせている。
 まだシーヴァスがやってくる気配はない。おもむろにナーサディアは口を開いた。
「ねえ、この格好で大丈夫かしら」
 彼女はいつもと同じ、大きなスリットの入った腰布状のスカートに、肩の開いた上衣をまとっていた。
「こういう貴族さまのお食事の席に、この格好はいいのかしら」
 彼女の問いに、眠そうな声で天使が答えた。
「さあ……。しかし、着替えはあるんかね? それよりふさわしいと思える服」
「ないわ」
 考える間もなく、彼女は即答した。
「じゃあ、別に、ええんやない……?」
「あなたはいいわよね、普段から、スカした格好してるから」
 横目で天使を見て彼女は言った。ベリーランドは、オリーブ色のようなセピア色のようなくすんだ色味のジャケットに、うっすら桃色がかった白っぽい立ち襟シャツ、ジャケットと同じ色のズボンを身につけていた。軍靴のような底の厚いごつい革靴もセピアでまとめてある。
「ノーブルと、言うてほしい」
「スカしてるのよ」
 はねのけるように彼女がそう答えたとき、食堂の入り口に人影がさしかかった。シーヴァスがやってきたのだった。彼は、背の低い小柄な老婦人の身体を支えるようにして入ってきた。婦人のすっかり白くなっている髪には大きくゆるいウェーブがかかり、襟足の辺りで切り揃えられ、短くまとまっている。うすく化粧を施した顔には幾分皺が見え、眼の感じが、シーヴァスと似ているようにも見えた。彼女は襟のつまったデザインの上衣に(それは、どこかの世界でヴィクトリアン調と呼ばれるデザインに似ていた)、ゆったりとして丈の長いスカートを穿いていた。
 ナーサディアと天使はおもむろに立ち上がった。
「お待たせして申し訳ない。私の祖母だ。今ちょうど、脚を傷めていてね。それで君たちには、少しお時間いただいてしまった」
 立ったままのふたりの顔を見やりながらシーヴァスはそう言うと、下座の椅子をひとつ引き、祖母と呼んだ婦人を促そうとした。すると婦人は口を開いた。
「お客さまに、まずお座りいただきなさい」
 若くはないが、張りのある声だった。だが、険は無い。諭すようにそう言って、シーヴァスを見る。
「――はい」
 一瞬空気を呑む感じで間を置いたように見えたシーヴァスは、すぐにうなずいた。
「失礼した。どうぞご着席を」
 ナーサディアと天使が席に就くと、一呼吸置いてから老婦人も着席した。シーヴァスは、婦人の隣の下座に就いた。
「祖母の、クロエ・フォルクガングだ」
 孫から紹介された祖母は、向かいに座るふたりに頭を下げた。
「ようこそ。お会いできまして、嬉しゅうございます。おふたりとも、どうぞおくつろぎになって」
 フォルクガング夫人の言葉に、ナーサディアと天使も頭を下げる。
「恐れ入ります。ベリーランド・オーレルと申します」
 天使が自己紹介した。つづけてナーサディアが、
「ナーサディアです。突然お邪魔しまして、大変恐縮です」
と挨拶したとき、さきほどのメイドがスープの皿を運んできて並べた。
「オーレルさんと、ナーサディアさん……。おふたりは、シーヴァスのお友達と聞きましたが、もしやご夫婦でいらっしゃるの? それとも、ごきょうだい?」
 「えっ?」と、ナーサディアが声を上げた。夫人の質問は、ナーサディアのラストネームなしの自己紹介に起因している。
「いえ、友人です」
 夫人の疑問を察したベリーランドが答えた。シーヴァスも割って入った。
「彼女は、その、プロの踊り子でして、ナーサディア、という名前で知られているんですよ」
「まあ、そうなの。すごいのねえ」
 感嘆の声を上げた夫人に、ナーサディアは内心、「このおばあさま、踊り子ってどこでどうする職業なのか、ちゃんと知っているのかしら」と思った。舞踊家、というのともまた違うのだが。
「オーレルさんも、踊りをなさっておいでなの?」
 夫人に問われ、ベリーランドはかすかに笑んで言った。
「いえ、私には、生憎そういった才能は無いようでして……」
「まあ。では、他のお仕事を?」
 ベリーランドは一呼吸置いた。そして、すぐに淀みなくつづけた。
「はい。カノーアの小さな教会で、雑務を担当しております。彼女もカノーア出身ですので、以前からの友人です。あ、それから僭越ですが――」
 そこまで言うとパンを小さくちぎり、彼はバターナイフを持ち上げ、
「よろしければ、私のことは、ベリーランドと」
と、夫人に向かって愛想良く笑んだ。
 ――こういう人好きする表情は心得てるわよね、この男。
 ナーサディアは、ベリーランドの笑顔を見て、胸の中でひとりごちた。今は翼を隠してパンを食べている彼女の守護天使は、割にうつくしい男だった。女性的とも言える白い肌に、よく見てみると節くれだって適度に肉のついた長い指、身体つきもさほど細いということはなく、その点は男性的でもあった。いつも相手をやんわりと眺めているような眼は紅く、それでいてやさしい顔立ちかと言うと、実はそうでもない。どちらかというと眼の造作は鋭く、ある意味酷薄そうにも見える。だが、全体的な雰囲気で見ると、何故かきつくはない。そのアンバランスさで、彼は無用な警戒心を相手に抱かせずに済んでいるのかもしれない。だから割とうつくしくも見える。黙ってさえいれば。
 食事は終始和やかに進んだ。フォルクガング夫人は普段から酒はたしなまぬひとのようであったが、シーヴァスとナーサディア、そしてベリーランドは赤ワインを楽しんだ。フォルクガング家所有のワイナリー作のもので、それは時々シーヴァスの気が向いたとき、彼が天使にプレゼントするものと同じ銘柄のものだった。ナーサディアもこの味に覚えがあった。彼女は天使から、そのワインを受け取ったことが何度かあった。出来の良い、気に入りの味だった。
 メインは雉肉の料理で、赤ワインとの相性が悪いはずはなかった。誰が言い出したか、雉の生肉はうつくしい桃色をしているという話になり、その鮮やかさは、他の肉と比べても突出しているという流れになった。そして何の肉はどんな色をしているだとか、臭み消しには何が相性が良いとか、そんな話にまでなり、ナーサディアは内心、こんな生肉の話がデザートまで引っ張られたらどうしようと思ったのだが、デザートはシンプルに生の果物の盛り合わせで、そのときにはまた生の果物の話になった。
 ――何でまた、生の話ばっかり。
 そう思いながら、彼女は最後のコーヒーを飲み干した。特に退屈しているわけでも辟易しているわけでもなかったが、貴族の家の食事に招かれているという、いささかの緊張感があったためか、妙に肩透かしを食ったような思いもした。もっと高尚な話でもしながら口は上品に小さく開けて食事するのか、などと、そんな漠然たる想像もしていたのに、まったく普通の食事であった。無自覚であったが彼女とて、貴族の邸での滞在に気負っていたにほかならない。
 楽しい食事でした。フォルクガング夫人がそう言った。ナーサディアも、ベリーランドも、それに同調するように返した。皆のカップは、空になっていた。
 不意に、フォルクガング夫人は首をかしげ、何事か思い出したように切り出した。
「オーレルさん、お尋ねしても構いませんかしら」
 心持ち身を乗り出すようにして椅子に座りなおし、ベリーランドはうなずいた。
「どうぞ、何なりと」
 もう彼は、「ベリーランドで構いません」とは言わなかった。フォルクガング夫人は、テーブルの上で両手を組んで彼を見た。
「あなた、お生まれもカノーアでいらっしゃるの? クヴァールにおいでたなんてことは――」
「クヴァール、ですか。いえ、……カノーアにずっと居りますが」
 夫人の質問の真意をはかれず、ベリーランドはとりあえずそう答えた。
「まあ、そう……。お家は代々カノーアに? どなたか近しい方が、クヴァールに、ということは?」
 また夫人がつづけて問う。シーヴァスが追うように言った。
「祖母は、クヴァールの出身なんだ」
 そして祖母を見やった。
「おばあさま、クヴァールがどうかしましたか? ベリーランドと何か関係が?」
「ええ、いえね、そっくりの方にお会いしたことがあるのです。オーレルさんに、とてもよく似た男の方。お顔も背格好も、本当にそっくりだわ。御髪の色も、眼の色も、どこも違っていないような」
「クヴァールで?」
 ベリーランドの問いに、夫人は即座にうなずいた。
「クヴァールの、私の生家のある町で。本当によく似ているの。その方は、まだ20歳になっているかいないかというくらいに見えたけど……」
 ベリーランドは、あの人好きする笑顔を見せて、夫人に言った。
「クヴァールに親戚がいるとは、聞き及んでいませんが……。この世には、同じ顔をした者が3人いるというのは聞いたことがあります。その方と、私と、あともうひとりがどこかにいるのかもしれませんね」
 小説や何やかやで使いまわされていそうな、特に目新しくも無い言い回しであるとナーサディアは思った。
「おばあさま、クヴァールでということは、去年の夏にご静養に行かれたときのことですか?」
 尋ねたシーヴァスに、フォルクガング夫人はかぶりを振った。
「いえいえ、そんな最近のことじゃありませんよ。私がこの家に嫁いでくるほんの少し前のことで、そうねえ、50年前のことになるかしら」
 50年。
 その年数に、夫人以外の者たちは、一瞬固まった。